アイマスクをつけて食事をいただく。
東京のお坊さん、青江覚峰さんによる暗闇ごはん。大阪での特別開催に参加しました。
「紙コップに入ったスープが出てきました。
何のスープでしょうか?」
いつもならどこにあるかすぐにわかるけど、アイマスクをしているから、手探りで紙コップを探し、何かわからないものを口に入れる。
匂い、舌触り、味、のどごし、わかる範囲で意識を集中する。
「次のお料理は3切れが紙皿にのせられています。何のお料理か召し上がってみてください。」
箸を探し、箸を持って、皿を探し、その3切れを探して、一切れずついただく。
その3切れ、ダシが替えてあったり、部位が違ったりする。
食事に集中する。
一生懸命に食べる。
「日ごろの食事を振り返ってみましょう。」
たしかに。
違うことを考えながら食事をしていた。
この後の予定、仕事の段取りを考えながら、外出先なら携帯電話を片手に食事。
「人に対して、うわの空で違うことを考えていながら接することは失礼です。
では食事に対しては?」と説かれる。
命をいただいている、ということを忘れていたことを思い出させてくれた。
次はアイマスクを外して、見ながら食べる。
片方は鶏そぼろ、もう片方はおからなどを鶏そぼろのようにした「鶏そぼろもどき」
片方は卵焼き、もう片方は豆腐にクチナシで色付けした「豆腐もどき」
見た目がとても似ている、味も似ている、説明を聞いて、食べてみて、答えを聞いた。
でも、見分けられない。
見た目に騙されている。
「人に対しても、色メガネで見ていないか。本質を見ているか」と説かれる。
次に1つのものをゆっくりと時間をかけていただく。
それを作るための食材のルーツ、そこに関わる人、もの、自分の口に入るまでにどれほどの人やものが関わっているのかを考えるように言われる。なるほど。すごく手間暇がかかっていることがわかる。
次にそれを食べている自分自身は、今日それを食べるに値することが出来ているのか、考えるよう説かれる。値するとは言えない状況に少し小さくなる。
さらに、もっと欲しい、もっと食べたいという気持ちがどこから来るのか、考える。
そしてどう対処しているのか、考える。
欲に負け、食べた結果が今の自分だと思う。
身体が瘦せおとろえないために食事をし、他の命をいただいていることを教わる。
美味しいお店、美味しい食材、食事を楽しみ、食事にこだわっているつもりの自分を振り返る。
最後に、「食べなければ死ぬが、食べてもいずれは死ぬ。何故食べるのか。」と説かれる。
たしかに。
「良く考えてみてください」と言われるが、答えは出ない。
何故食べるのか、
何故命を長らえようとするのか、
何のために生きるか、
食事に感謝して、きちんと日々を味わって生きたいと思った。
近くの席の方々と話す時間が与えられた。
皆さんいろいろと思うことがあったと話してくださった。
忙しさを言い訳に、1つ1つにきちんと向き合っていない自分であったと振り返りました。
有り難い時間になりました。